本田の家紋「立葵」について

 「本多家譜」によると「本多縫殿助正忠、先祖賀茂神社職也、依って立葵を以って家紋と為す」とあり、本多の祖先が双葉葵(賀茂葵)を神紋とする賀茂神社(上賀茂神社、下賀茂神社)の神官(氏子)であったため、「立葵」を家紋として用いていたと記載されています。


 そして、「立葵」の家紋は、本多忠勝の家紋として有名ですが、本多と本田はもともと一つであり(参考:柳営秘鑑御普代之列)、本田の家紋も「立葵」になります。

 これは、「善光寺縁起」により皇極天皇3年(644年)から続いているとされる善光寺(長野県)の本田善光が「立葵」を善光寺の寺紋として使用したことからもわかります。

 ところで、「葵」は歴史的仮名遣いでは「あふひ」と書き、「逢ふ日」と掛詞になるため和歌に好まれて使用されていました。

 

 烏丸特許事務所®でも、「葵(あふひ)」に掛けて「逢ふ日」つまりご縁を大切にし、人との繋がりを大切にしたいと思います。

弁理士 本田 史樹


※柳営秘鑑御普代之列には「三河安祥之七御普代、酒井左衛門尉、元来御普代上座、大久保、本多、元来田ニ作、中興ニ至テ美濃守故有之多ニ改。」とあり、本多は元は本田であったとあります。